料理とビオラ そして 脳腫瘍
このブログを始めたのは お料理クラスに通っていた時。
職安の料理人コースだけど それでも 主婦のたまり場だった。
先生は 時々 スペイン代表で お料理のあつまりのある時にフランスなどに
出かける人。 腕のよい料理人ではあるけれど 店を出すに当たって
センスが今ひとつであったために 華やかな経歴は ないように 思う。
賞は かなり取っているから ないとも言えないのだけれど
つまり 彼の腕に見合わせただけの経歴はない と言うべきか。
考えてみれば お料理教室で 毎日 四種類の料理を作っていたのだから
もっと ブログの更新はできるはずだった。 にも かかわらず 1日
五時間のクラスのあと なかなか料理についての記事を書こうという 意欲も時間もみつからないまま 今度は コンセルバトリオで ビオラを習い始めた。
ビオラは やはり 練習しなければならない。
授業が多い時で三時間。
そんなに拘束時間はないのだけれど 練習をしたり その合間に こどもたちの勉強をみたり
なんやかんやしていると 本家のブログも更新が止まっていたりする。
そして 脳腫瘍。
ほんとは 脳腫瘍に関する記事を 本家のブログのほうに 書こうと思いつつ
まだまだ 整理できないでいる。
吐きまくっていた時に 信濃町のK病院 西新宿のI病院に行って調べた。
でも 見つからず それから 20年近くたって 見つかった。
幸いに 成長のゆっくりな 腫瘍だったので そんなに大きくなっていない。
ガンマナイフで 成長を止める処置をする。
頭を開いてとれば 顔のしびれを押さえられると 日本語のホームページには載っていた。
それでも 頭を開いた場合の副作用というか リアクションが 怖くて 開くのはいやだった。
顔は 少しずつ しびれていく。
それでも 最近 吐かなくなった。
そして 転ばなくなった。
転ぶのが腫瘍のせいだとは 思わなかった。
転ぶのはわたしの性格のせいと 上背のわりに小さな足 のせいだと思っていた。
だから うれしい。
腫瘍の治療に関して あと何年生きるか
その寿命のあいだに 腫瘍による 悪作用があるかどうか
そういう観点で 治療はすすめられる。
その時 はじめて 自分の人生を限りあるものとして
客観的に 考察するということを覚えた。
いつまでも生きるわけではないけれど とりあえず 家族に迷惑がかからないように
自分を維持していかなくてはならない。
腫瘍がちいさいうちに見つかってよかったね ラッキーだね と 夫に言うと
夫が ラッキーじゃない。 腫瘍なんてできないのがラッキーだ
と 今にも 泣きそうで わたしより つらがってるので びっくりした。
うれしかった。
母には ガンマナイフの処置をしたあと 取れたわけではないけど
心配しないように 取ったよ と言った。
母は よかったね。 やっぱり あなた 変だったもの。
ちょっと 傷ついた。
まだ 腫瘍は ここにあるから きっと変なら 今も変だよ
っていうのをこらえて 笑う。
こういうふうに 人を傷つけることがあるんだ と 思って
気をつけようと 思った。
ビオラの先生に 腫瘍があるって言った時 28才の彼が 頭を 床に打ち付けて
一瞬 動けなくなって そのあと 昨日寝てないから ちょっと めまいがしただけ
と ごまかしたけど 腫瘍のことで ショックを受けたんだと 思い 満足する。
どんな状況でも 幸せを見つける小ずるさで 明日も生きる。
職安の料理人コースだけど それでも 主婦のたまり場だった。
先生は 時々 スペイン代表で お料理のあつまりのある時にフランスなどに
出かける人。 腕のよい料理人ではあるけれど 店を出すに当たって
センスが今ひとつであったために 華やかな経歴は ないように 思う。
賞は かなり取っているから ないとも言えないのだけれど
つまり 彼の腕に見合わせただけの経歴はない と言うべきか。
考えてみれば お料理教室で 毎日 四種類の料理を作っていたのだから
もっと ブログの更新はできるはずだった。 にも かかわらず 1日
五時間のクラスのあと なかなか料理についての記事を書こうという 意欲も時間もみつからないまま 今度は コンセルバトリオで ビオラを習い始めた。
ビオラは やはり 練習しなければならない。
授業が多い時で三時間。
そんなに拘束時間はないのだけれど 練習をしたり その合間に こどもたちの勉強をみたり
なんやかんやしていると 本家のブログも更新が止まっていたりする。
そして 脳腫瘍。
ほんとは 脳腫瘍に関する記事を 本家のブログのほうに 書こうと思いつつ
まだまだ 整理できないでいる。
吐きまくっていた時に 信濃町のK病院 西新宿のI病院に行って調べた。
でも 見つからず それから 20年近くたって 見つかった。
幸いに 成長のゆっくりな 腫瘍だったので そんなに大きくなっていない。
ガンマナイフで 成長を止める処置をする。
頭を開いてとれば 顔のしびれを押さえられると 日本語のホームページには載っていた。
それでも 頭を開いた場合の副作用というか リアクションが 怖くて 開くのはいやだった。
顔は 少しずつ しびれていく。
それでも 最近 吐かなくなった。
そして 転ばなくなった。
転ぶのが腫瘍のせいだとは 思わなかった。
転ぶのはわたしの性格のせいと 上背のわりに小さな足 のせいだと思っていた。
だから うれしい。
腫瘍の治療に関して あと何年生きるか
その寿命のあいだに 腫瘍による 悪作用があるかどうか
そういう観点で 治療はすすめられる。
その時 はじめて 自分の人生を限りあるものとして
客観的に 考察するということを覚えた。
いつまでも生きるわけではないけれど とりあえず 家族に迷惑がかからないように
自分を維持していかなくてはならない。
腫瘍がちいさいうちに見つかってよかったね ラッキーだね と 夫に言うと
夫が ラッキーじゃない。 腫瘍なんてできないのがラッキーだ
と 今にも 泣きそうで わたしより つらがってるので びっくりした。
うれしかった。
母には ガンマナイフの処置をしたあと 取れたわけではないけど
心配しないように 取ったよ と言った。
母は よかったね。 やっぱり あなた 変だったもの。
ちょっと 傷ついた。
まだ 腫瘍は ここにあるから きっと変なら 今も変だよ
っていうのをこらえて 笑う。
こういうふうに 人を傷つけることがあるんだ と 思って
気をつけようと 思った。
ビオラの先生に 腫瘍があるって言った時 28才の彼が 頭を 床に打ち付けて
一瞬 動けなくなって そのあと 昨日寝てないから ちょっと めまいがしただけ
と ごまかしたけど 腫瘍のことで ショックを受けたんだと 思い 満足する。
どんな状況でも 幸せを見つける小ずるさで 明日も生きる。
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