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なぜ ドイツ人は 食事の時 パンをたべないのだろう。

世界で一番 パンを食べるのは スペイン人。 ガスパッチョを食べる時だって 家での食事なら パンをちぎって ばんばんいれて 食べちゃいます。  ソースに軽くパンを浸して それをフォークで突き刺し それも口の中へ。 子供達が 料理ばかりぱくぱく食べていると パンを食べなさいって パパに叱られます。 日本食だって おかず食い とかなんとか言われて 叱られますよね。 その反対にドイツ人はパンを食べない。 ドイツ人の家に食事の招待で行くと アペルティーポで 少しパンが出て そのあと メインディッシュが 出るとさっさと パンは片づけられる。 夫が ぼくは パンがないと 食事ができないんだ と言うと この家は ドイツなのよね っとか いいながら しぶしぶ パンを出してくれる。 食に関して スペイン人は ガンコなのだ。 わたしは どこに行っても そこの方式で食事ができる。 日本人って 実は一番 柔軟な国民だと思いませんか。 宗教にしたってそうでしょ? 友だちは イスラム教の人と恋に落ちて さっさっと イスラム教徒になった。 それが良いか悪いか言えないかもしれないけど 余計なことを考えすぎて その時の気持ちを押し殺さなくてすむ と言う点は いいと 思う。 話は ずれてしまったけど その時 初めて ドイツ人はパンを食事の時に食べないということを知った。 その代わり 茹でたジャガイモは 山のように出る。 ソルジェニーツィンの「イワン・デニーソヴィチの一日」を読んでいて なぜ ドイツ人はパンを食べないのか という疑問に対する答えみたいな物を見つけた。 イワンは 収容所に入っている。 食事は 具のほとんどないスープとパン。 でも スープとパンを一緒に食べるとお腹がいっぱいにならない。  スープをゆっくりすすって そのあと パンをかみしめるように 味わうと おなかがいっぱいになる。  大昔は 北ヨーロッパは ほんとに食べ物が少なかった と思う。 たとえば 京都の煮物って きちんと材料を別々にして 煮る方法があるでしょ? 色がきれいに出るし 味も上品。 うちの両親は九州だから ごった煮だ。 醤油をいれると 色も全体に同じになって きれいではない。 ラタトーイユにそっくりなピストという料理がスペインにある。 マドリッドでは 全部の野菜を

澄んだ良心より澄んだスープが大事な要素だ

サキ短編集の一作 「盲点」 主人公ラルワアス卿のモットー 「人生においては 澄んだ良心よりも、澄んだスウプの方が 大切な要素だ」  そのラルワアス卿に 甥が牧師を殺したのはどうも彼の料理人であるようであると その証拠の手紙を持ってくる。 牧師が殺された時 疑う人もいたのだが なんの証拠もなかったので 料理人は無罪になっていたのだ。 その手紙が あれば もう一度 取り調べが始まる 可能性が高い。 すると ラルワアス卿は その手紙をさっと取りあげて暖炉の火にくべてしまう。 甥は叫ぶ。 「何をなさるんですか。 ありふれた殺人ではありませんか?」 それに答えて ラルワアス卿は答える。 「ありふれた殺人かもしれないが 彼は ありふれた料理人じゃないからね。」 サキの短編は いわゆるショートショートと言われる物のカテゴリーに入るくらい短い作品ばかりです。 眠れない夜は この本を読みながら 朝を迎えましょう。

檸檬 レモン limón

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スペインの市場で野菜を買うと たいていサービスで レモンかパセリをもらえます。パセリはいわゆるイタリアンパセリタイプ。 レモンもパセリもどちらも 食卓には欠かせません。 パセリは一週間で使えないくらいの束をくれます。 水につけて 台所の窓のところに置いておくと少しだけ使ったりして便利です。 レモンも小さいのを一個みたいな感じではなく でかいのをニ・三個 くれます。 そのくらいレモンは生活の中にある リーズナブルな食べ物なのだと思います。 マヨネーズも酢の代わりにレモンを使うとマイルドに仕上がります。 また 皮を パン生地やスポンジにすり下ろして入れても良い香り。 絞った後の皮は 油汚れが落ちるので 火の周りのお掃除に使ったりします。 原産は 東南アジアだそうで アレキサンダー大王によって ヨーロッパに紹介されました。 日本の文学の世界では檸檬という小説が有名ですが 同様に高村光太郎も 詩を書いています。 レモン哀歌                    そんなにもあなたはレモンを待つてゐた かなしく白いあかるい死の床で 私の手からとつた一つのレモンを あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ トパアズいろの香気が立つ その数滴の天のものなるレモンの汁は ぱつとあなたの意識を正常にした あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ わたしの手を握るあなたの力の健康さよ あなたの咽喉に嵐はあるが かういふ命の瀬戸ぎはに 智恵子はもとの智恵子となり 生涯の愛を一瞬にかたむけた それからひと時 昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして あなたの機関ははそれなり止まつた 写真の前に挿した桜の花かげに すずしく光つレモンを今日も置かう

赤い薔薇ソースの伝説

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日本ではまず映画から紹介されました。1992年製作だけど 日本公開はもう少しあとだったと思います。 たぶん 1994年。 メキシコ映画。  原題は  Como agua para chocolate 。(ウィッキーペディア 英語) チョコラテのための水のように というのが 直訳。 チョコラテは どろっとしたココアよりもっと濃い飲み物。 スペインだと チュロとかチュロよりもっと 太めのポーラスとじゃぱじゃばとつけて頂きます。 その チョコラテを作るための水 すなわちぶくぶくと沸騰している。 憤った心を表すメキシコの慣用句。 主人公ティタはある家族の末っ子。 ペドロと愛し合っています。 しかし 母親は末娘は 母親の世話をするもの ということで結婚を許しません。 ペドロは愛するティタと一緒にいるために ティタの姉と結婚します。 ティタは 愛を伝えるために お料理をし続ける。 本では 各章が1月から12月までになっているのですが それぞれ レシピーではじまります。 1 Tortas de Navidad(クリスマスケーキ クリスマスは 1月6日まで続くので) 2 Pastel Chabela(チャベラビールのケーキ チャベラを歌うマリアッチがあります。) 3 Codornices en Pétalos de Rosas(薔薇の花びらソースをかけた ウズラ) などなどと続きます。 それぞれのレシピに関しては また書きたいと思います。 この3番目の ペドロのプレゼントの薔薇の花束で作ったレシピーから 邦題はつけられたようです。 映画の中では 男をなじるティタの場面があるのですが 原作にはなく ただひたすら 料理を作り続ける。 だから そこには エロチックな魔法がかかってしまう。 「愛は考えるものじゃない。感じるか、感じないかだ。」 この小説は 売れ行きから ガルシア・マルケスの「百年の孤独」と比較されますが 私は むしろマルケスの 「エレンディラ」を思い出しました。その強烈な母親とエレンディラの祖母の性格によって。 エレンディラは まだ少女です。 両親が亡くなって 祖母の世話をしていますが 不注意から家を燃やしてしまう。 それで 祖母は 失った物を返すために 売春をさせる。 そして 最後は男の子が彼女のために 祖母を殺す。 もちろん 男の子は 彼女と一緒に行こうと思っている